ポール・ランソン
表示
ポール・ランソン Paul Ranson | |
---|---|
ポール・ランソン(左)セリュジエ、マリー・フランス・ランソンと | |
生誕 |
1861年3月29日 フランス,リモージュ |
死没 |
1909年2月20日 フランス,パリ |
運動・動向 | ナビ派 |
ポール・ランソン(Paul Ranson, Paul-Elie Ranson, 1861年3月29日[1] - 1909年2月20日[2])はフランスの画家。1888年にポール・セリュジエに出会い、1890年にナビ派の一員となる。
略歴
[編集]リモージュで生まれた。父親は地方政治家である。母親を幼くして失い、母方の祖父母に育てられた。リモージュの専門学校(Ecoles des Arts Décoratifs)で学び、才能を認められ、パリで学ぶことを勧められた。
1888年にパリに出て有名な私立の美術学校、アカデミー・ジュリアンでトニ・ロベール=フルーリーに学んだ[3]。モンパルナスにスタジオを持ち、パリの画家たち、ボナール、ドニ、ルーセル、マイヨール、ヴァロットン、ヴュイヤールらと付き合うようになり、ポール・セリュジエと親しい友人となり、「ナビ派」と呼ばれるグループの一員となった。1890年から毎週土曜日に自分たちのアパルトマンで例会を開き、集まってくる仲間の様子から冗談めかしてそこを「Le Temple」と呼んでいる[2]。
1908年にセリュジエ、妻のマリー・フランス・ランソン(Marie-France Ranson)とランソン美術学校(Académie Ranson)を創立した。友人の画家たちが教師を務め、多くの画家を育てた[2]。
主な作品
[編集]-
"Two nudes"、素描 (1890年)
-
"Women in White"、刺繍 (1895年頃)
-
"Young woman behind thimbles"、油彩 (1899年)
-
『水浴びする女性』、油彩 (不明)
ランソン美術学校の生徒
[編集]- ジーノ・セヴェリーニ(1883年 - 1966年)
- ソフィヤ・ナレピンスカ=ボイチュク (1884年 - 1937年)
- ロジェ・ド・ラ・フレネー (1885年 - 1925年)
- Ivo Hauptmann (1886年 - 1973年)
- 梅原龍三郎(1888年 - 1986年)
- 矢部友衛(1892年 - 1981年)
- Otto Niemeyer - Holstein (1896年 - 1984年)
- タマラ・ド・レンピッカ(1898年 - 1980年)
- 島村三七雄(1904年 - 1978年)
- Paul Eliasberg (1907年 - 1983年)
- マリア・エレナ・ヴィエイラ・ダ・シルヴァ(1908年 - 1992年)
- Jean Le Moal (1909年 - 2007年)
- 土橋醇一(1910年 - 1978年)
- ディエゴ・ジャコメッティ(在学 1924年 - )[4]
- Alfred Gold
参考文献
[編集]- Claire Frèches-Thory und Ursula Perucchi-Petry: Die Nabis: Propheten der Moderne. Kunsthaus Zürich & Grand Palais, Paris & Prestel, München 1993, ISBN 3-7913-1969-8
- Sandrine Nicollier: L'Académie Ranson, 1908–1918. Mémoire de troisième cycle de l'École du Louvre, sous la direction de Guy Cogeval, Paris 1997
- Michel-Georges Bernard: Jean Le Moal. Ides et Calendes, Neuchâtel 2001
- Alexandra Charvier: L'Académie Ranson, creuset des individualités artistiques, 1919–1955. Mémoire, Université Paris I, Panthéon-Sorbonne 2003
- Alexandra Charvier: L'Académie Ranson dans le Paris artistique de l'entre-deux-guerres. dans "La Gazette de l'Hôtel Drouot", 2004
- Alexandra Charvier: L'Académie Ranson à la croisée des chemins. dans "La Gazette de l'Hôtel Drouot", 2004
脚注
[編集]- ^ 生年を1864年または1862年とする文献も存在する。
- ^ a b c Thomson, Belinda(英語)『Ranson, Paulunlocked (b Limoges, 1864; d Paris, Feb 20, 1909)』Oxford University Press (Wikipedia:ウィキペディア図書館)、2003年。doi:10.1093/gao/9781884446054.article.t070753 。
- ^ Kaplan, Julius. “Symbolism”. oxfordartonline-com (ウィキペディア図書館). Grove Art Online. doi:10.1093/gao/9781884446054.article.T082761. 2021年2月13日閲覧。
- ^ https://www-oxfordartonline-com.wikipedialibrary.idm.oclc.org/groveart/view/10.1093/gao/9781884446054.001.0001/oao-9781884446054-e-7000032017?rskey=lYaYUl