春日神社 (関市)
春日神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 〒501-3857:岐阜県関市南春日町1 |
位置 | 北緯35度28分56.42秒 東経136度55分0.76秒 / 北緯35.4823389度 東経136.9168778度 |
主祭神 | 天児屋根命(あめのこやねのみこと)(春日大神) |
社格等 | 金幣社 |
創建 | 正応元年(1288年) |
例祭 |
試楽祭(4月第3土曜日) 本楽祭(4月第3日曜日) |
主な神事 | 童子夜行(どうじやこう) |
概要
[編集]金幣社。関鍛冶の守護神。
例祭は関まつりと呼ばれ、古典芸能「童子夜行(どうじやこう)」が能舞台で奉納される。また、この例祭に使用される能装束類(63点)は昭和31年(1956年)に重要文化財に指定されており、毎年10月第2日曜日の刃物まつりなどで特別公開されている。
同じく使用される能狂言面は、平成22年(2010年)に重要文化財に指定されている。
歴史
[編集]鎌倉時代に大和の国(現在の奈良県)から何人もの鍛冶刀工が関に移り住んだ。正応元年(1288年)その大和鍛冶の出身者である金重と兼永は関鍛冶を総代して奈良の春日大明神を勧請して関鍛冶の守護神とし創建したと云われている。創建時に神宮寺として真言宗新長谷寺の末寺、勇猛山大雄寺を設けた。
その後、刀工孫六兼元等の登場により関の刀鍛冶が日本全国に知られることとなり、例祭が盛んになる。
永享5年(1433年)初代孫六兼幸が願主となって同地に再建。
明治時代に至って大雄寺が廃寺となり、鐘楼を遺して建物が撤去された。
明治6年(1873年)1月郷社、明治40年(1907年)神饌幣帛供進神社に指定され、昭和29年(1954年)に金幣社に指定された。
能舞台
[編集]室町時代、境内に檜皮葺きの能舞台を建立。舞台芸能をお祭りにとり入れて、毎年正月、祭事能として神奉能を行うようになる。応永2年(1395年)兼吉清治郎が関鍛冶七流[1] を代表して翁役を勤めたのが始まり。
神宝殿
[編集]境内の東北に位置するこの建物は、耐震ならびに耐火を考慮し温度調節機能を備えた文化財収蔵庫である。能装束類などの重要文化財が保管されている。昭和33年(1958年)竣工。
文化財
[編集]重要文化財
[編集]能装束類
[編集]いずれも室町時代末期から安土桃山時代、16世紀の作品であり、この時代の染織品が1か所にこれだけの数量まとまって伝来するものは稀有であり、日本芸能史・染織史上貴重な資料である。以下の63点が重要文化財に指定されている。
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以下は附(つけたり)指定
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木造能狂言面
[編集]- 53面(附 木造古楽面8面)
岐阜県指定重要文化財
[編集]- 刀 銘 兼常[2]
岐阜県指定重要無形民俗文化祭
[編集]- どうじゃこう[3]
アクセス
[編集]周辺
[編集]参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 関鍛冶七流 - 大和鍛冶の出身者「善定」「奈良」「三阿弥」「徳永」「得印」「良賢」「室屋」の各流派。
- ^ “刀銘兼常[かたなめいかねつね]”. 岐阜県 (2015年10月14日). 2023年10月18日閲覧。
- ^ “どうじゃこう”. 岐阜県 (2015年10月14日). 2023年10月18日閲覧。